ついったーはじめました。
プロフィール

梓書院

Author:梓書院
九州・福岡の出版社、梓書院のスタッフによるブログです。出版のご用命は当社まで。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-

Comment

Comment Form

Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
-

Trackback

Trackback URL

80

諫早菖蒲日記

青空広がる皐月も終わり、梅雨空の水無月が近づく時分、いかがお過ごしでしょ
うか。
今回のブログ担当の副島です。
人は会話中に話題に困ると、天候の話を振ることが多いのだそうです。
それは、同じ時間と空間を共有している場合、誰にとっても一目瞭然に共通であ
り、また話題性のある事柄だから、だとか。
だから私のブログの書き出しに天気の話が多いとか、そういうわけではないので
すが。多分。きっと。



さて、去る5月30日、五月晴れ快晴の空の下、長崎の諫早にて、「菖蒲忌」とい
う会が執り行われました。

皆様は、芥川賞作家の「野呂邦暢」氏をご存知でしょうか。
諫早出身の野呂氏は、1974年に芥川賞を受賞、そして、42歳の若さで、ちょうど
30年前の1980年に亡くなられました。
野呂氏が特徴的だったのは、その執筆活動の全てを、地元・諫早の地で行ってい
たことでした。
メールはもちろん、FAXさえ普及していなかった時代、東京の出版社との校正の
やり取りは、主に手紙であったそうです。
そんな状況で、当時、九州にいながら活動する現役芥川賞作家は、野呂氏しかい
なかったとのこと。それでも、諫早の地に根ざした文学を発信し続けるために、
決して東京に移住することはありませんでした。
野呂氏は諫早で執筆活動を続ける理由を、知人にこう答えたといいます。
「人間も木と同じ。ここに植えている木を東京に移したら枯れてしまう」

その野呂氏が好んでいたのが、諫早に在来種として咲いていた「諫早菖蒲」とい
う菖蒲でした。
このことから野呂氏を偲んで、命日のある5月の最終週、毎年行われているのが
「菖蒲忌」という会です。
この諫早菖蒲は、一般に広く知られる江戸菖蒲などの原種と言われていて、力強
く真っ直ぐに伸びる茎と葉、そして濃い紫色の花が特徴です。
野呂氏もきっと、華やかさは少ないけれど、どこか素朴な美しさを好んだのでは
ないでしょうか。

諫早1


諫早市上山公園には、野呂氏の文学碑があり、この前で式典が執り行われます。
今回没後30年を迎えたこの菖蒲忌に合わせて、実は弊社より、この諫早の地を舞
台にした歴史小説、『諫早菖蒲日記』が新装版として発刊になりました。

菖蒲(小)
購入はこちら


実は野呂氏は弊社の創立間もない頃より交流があり、弊社を代表する季刊誌「季
刊邪馬台国」の初代編集長にも就任されておりました。
そのため毎年この菖蒲忌にも参加させていただいており、また、30年を記念して、
新装版の発刊の運びとなりました。
この上山公園の文学碑にも、諫早菖蒲日記の一節が刻まれています。

『まっさきに現われたのは黄色である。
黄色の次に柿色が、その次に茶色が一定のへだたりをおいて続く。
堤防の上に5つの点がならんだ。
堤防は田圃のあぜにいる私の目と同じ高さである。点は羽をひろげた蝶のかたち
に似ている。…』


諫早2

この諫早菖蒲を、文学碑に供えます。

諫早3


野呂氏を慕う諫早の方や、東京からのご来賓、そして地元の高校生が参加されて
いました。

この文学碑前の菖蒲忌の後、みすず書房さんの「夕暮れの緑の光」と、
弊社の「諫早菖蒲日記」の合同出版祝賀会も開かれました。
豊田健次氏や岡崎武志氏の、野呂氏に対する想いを感じられる素敵な講演もあり、
とても有意義な会となりました。


諫早4


帰りに見た大村湾。


「諫早菖蒲日記」はこちらから。



関連記事
スポンサーサイト
  • Date : 2010-06-02 (Wed)
  • Category : 未分類
0

Comment

Comment Form

Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
0

Trackback

Trackback URL

検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
Return to Pagetop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。