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真面目に戯言、前田司

クリスマスとサンタクロースの関係がいまいち分からない前田です。

キリストの誕生日にプレゼントをばら撒くこのおっさんは何物なんだ…?

それはさておき、今日はクリスマスに関連した話題から。
これは先日耳にしたお話です。

【二人のサンタ】
むかしむかし、白いサンタと黒いサンタがおりました。

白いサンタは、よい子にプレゼントをあげ、

黒いサンタは、悪い子にお仕置きをしていました。

ところが段々と黒いサンタのお仕置きはエスカレートしていき、

子どもたちは黒いサンタに怯えて一年をすごすようになりました。

それを見かねた白いサンタは、ある年、
黒いサンタを殺してしまいます。

その返り血で赤く染まった姿が、今の赤いサンタクロースである、といいます。

小さな悪事を重ねた黒いサンタ、
一度きりとはいえ、取り返しのつかないことをしてしまった白いサンタ。

どちらが本当に怖いサンタなのでしょうか…


…うーん我ながら後味の悪い話をしてしまい申し訳ない。

さて、
よい子にはご褒美を、

悪い子にはお仕置きを、というのはどこの国でも見られるお話だと思います。

これは「何がよくて、何が悪いか」ということを教育するための「しつけ」の効果を持つものだと思います。

しかし、「ご褒美」のために善いことをすることが良いことなのか、
「お仕置き」を恐れて行動することが良いことなのか。

やはりいずれは、「ご褒美」と「お仕置き」から卒業しなければならないように思えます。

「ご褒美」を目的とした行為は、たとえそれが善行であったとしても道徳的行為ではない。
「お仕置き」を恐れて為した行為もまた道徳的ではない。
道徳性とはなにかと問うた場合、それは「善なる意志」であるとカントは述べました。

  *カント:ドイツの哲学者。道徳哲学を生涯にわたって論じた。

自らの損得に関わらず、理性的・客観的に考えて、そうするべきだというような行為は、善行である。
そういった善行を、これまた己の利害にとらわれずに為すことが、「道徳的」な行為である。
そして道徳とは、自らの中でのみ輝く価値(内的価値)であり、
善行を行なおうとした意志、悪行を為そうとしない意志、それがすなわち「善なる意志」なのであり、内的価値を持つ道徳性なのである。


「褒められるからする」「叱られるからしない」といったことは、
己の自由な意志によるものではなく、「ご褒美」や「お仕置き」に支配された行為である。

道徳とは、そういった支配から脱却し、自らが作り出した規律にしたがう意志の輝きである。


…と、道徳云々の話を持ち出してしまいましたが、この「ご褒美とお仕置き」は、
仕事や人生をより楽しむにおいても有用な考え方だと思います。

何故褒められるのか、

何故責められるのか、

それを考え、理解をした上で、「そうしたい」と思うことが、「アメとムチ支配」からの脱却だと思います。


しかし一方で、ご褒美を与えるというのは、
その人を「認める」という働きもある。

評価を形にするためにも、「ご褒美」は必要だと思います。

ただし、「ご褒美」というものが、行為を支配してしまうという側面も持っているということは、頭の片隅においといて害になるものではないと思います。

自分がご褒美に、はたまたお仕置きに支配されて行動しているかどうかに気づくことで、違った思いで仕事などに臨めるのかもしれません。


自分で自分を律すること。自立ではなく「自律」の精神が、
己をより高みに導く鍵だと私は思います。
そしてそれは同時に日々を楽しむための鍵でもあるでしょう。


…顔に似合わず、真面目なことを偉そうにタラタラと書いてしまいました。
たまには真面目なことを書いておけば良いことあるかな~と、「ご褒美」を期待してやまない前田です。
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