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作るこころと、使うこころ

『道具と人類史』戸沢充則 著
(Amazonはこちらから)
道具と人類史

縄文土器。

その言葉にどんなイメージを持たれるだろうか。
やたらとゴテゴテとした装飾のあるイメージ、
ひいては原始的、非文明的なイメージを持ちはしないだろうか?

土器に限らず、「縄文時代」という言葉に対する一般的なイメージはあまりいいものではないように思える。

この本の原稿が書かれた当時(一九八〇年代)の
平均的な縄文時代のイメージは

 「みすぼらしくて、なにか不潔であわれな縄文人が、
 森や林の片隅で、あるいは海や河の狭い岸辺で、
 ほそぼそと暗くじめじめした原始生活を続けていた」

だったというが、そのイメージは現在においてもそう大きく変わってはいないだろう。

しかし、縄文土器は芸術作品だ、という視点で見ると、
瞬く間にその縄文土器を見つめる視線は変化していくのではないだろうか。

有名な火焔土器に代表されるように、
ゴテゴテと装飾された土器は日常的に使いやすいものではなかったであろう。

それは現代人にとっても、縄文人にとっても同じであろう。
それでも縄文人たちは、派手な装飾の縄文土器を作った。
それを無駄と考えるのは甚だ見当違いに思える。

装飾しない土器のほうが、簡単に作れるし、
使い勝手もよいことを知らないはずはない。

それでも縄文人たちは縄文土器を作ったのである。

そこに縄文人たちの豊かな心性、
道具にかけるロマンティックな想いを感じずにはいられない。

本著によれば、
それまで考古学的な意味でしか視線をあびていなかった縄文土器に、
「芸術」としての本質を見出したのは岡本太郎だという。

本著は、道具の歴史を教えてくれる教科書ではない。
道具と、それに寄り添う人の心のあり方にまで言及した珠玉の考古学エッセイだ。

(前田)
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