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【連載】武士道3行解説 2 ~武士道の源をさぐる~

さて、長らく間が空いてしまいましたが今回は連載第三回、
武士道3行解説です。前田です。


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武士道3行解説! 其の二 ~武士道の源をさぐる~
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①仏教が武士道にもたらしたのは「すずしき心」と「悟り」である!





②神道は武士道に「忠誠心」と「愛国心」をもたらした!





③仏教の教義と神道という推進力が武士の性格をつくりあげた!




補足


>①
「教え」は方法論。
ハウツーである。

仏教が武士にあたえた教えは、
死に対する心構え、言い換えれば「覚悟」や不動心のようなものである。
仏教の死生観は、武士という性格を形成するための骨子となった。

そして悟りを開く禅の精神こそが、
真理を探究し、真理と同化しようとするあくなき向上心を武士に与えた。



>②
西欧人の精神と日本人それの決定的な違いは、
「国土を物と思っていない」こと。

自然を崇拝し、一体となることが自然な感情として根付いている。


ところで武士道は知識のための知識を軽視する。

知識は体で体現されてこその知識であり、
本来は知恵を得るための手段であると考える。

また、そもそも文武両道とは、知行合一と同義である。

文も武も同じ一本の道であり、
文を武で体現し、武を文によって説明することで
初めてひとつの道が開けるということである。


ちょっと話がそれましたが、
神道に「教義」はなく、あるのは行為の基準となる形式、
すなわち行動様式のみである。

その行動がいかなる意味を持つものか、
教えられずとも「知って」いるのである。

何故神前で礼をするのか。
その理由を神道は教えない。

しかし、礼をするという行為に
礼をする個人は意識的にしろ無意識的にしろ
意味を「感じて」いる。

自然や祖先を敬い、愛する精神。

それこそが武士道的な「忠誠心」と「愛国心」を生んだ土壌であり、
また武士という生き方・性格付けを可能にした推進剤であるだろう。

神とは自然であり、また同時に自分自身の中にあるものである。
この考えから生まれる自律的な道徳的精神が「恥」の文化を生んだともいえる。


>③
「武士道」にエンジンを与えたのが神道であり、
翼を与えたのが仏教であるといえる。

実のところ武士道の道徳的な教義は孔子の教えが源泉であるが、それは
日本人の精神にすでに培われていた土壌の再認識にすぎなかった。

しかし、そういった教義を理解・体得できていないものはまさに
「論語読みの論語知らず」であったのだろう。


蛇足だが武士道の美しさは体で体現することだろうと思える今日この頃である。

-----おわり
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